心的外傷からの回復は、以下の三段階展開を取ります。
・第一段階の中心課題「安全の確立」
安全の確立はまず、身体の自己統御に焦点をあてる。
睡眠を確保し、食欲、身体運動、さらには自己破壊的行動をコントロールする。ついで、安全な生活環境、経済的安全などを確保する。
ケア提供者は、当事者の希望と安全確保とが両立する範囲で選択肢をできるだけたくさん出し、当事者の自己決定の範囲の拡大をはかる。
・第二段階の中心課題「想起と服喪追悼」
被害者が外傷のストーリーを語る時期である。
「ストーリーを語るという能動行為」を保護的な人間関係の安全な状況で行うことで、外傷的記憶は再構成され、被害者の生活史のなかに統合される。
そして、外傷によって失ったものを服喪追悼する事が可能になる。
・第三段階は、通常生活との「再結合」を図る時期
外傷が破壊した古い自己の喪に服した被害者は、これからは生存者として新しい自己を成長させていかねばならない。
自己統御感を取り戻した生存者は、しかるべきときには他者を信頼し、そうでないときには信頼を撤回するということができる。
過去に受けた残虐行為を帳消しにすることはできないが、それを超越する方法はある。
それは、自己の被害体験を他者への贈り物とすべく、講習の意識を高めることに貢献することである。
例えば自分と同じように被害者になった人たちを各方面において救援し、あるいは将来被害者が出ないようにし、あるいは加害者を法廷に引き出そうとすることである。
『治療の基本』
・治療を受けても、トラウマ体験前の自分には戻れないが、元の生活に近い暮らし方はできるようになる
・治療のゴールは生活を取り戻すこと
・症状を軽減し、トラウマ体験による実質的な被害をなくし、社会復帰する
休憩休憩!たはーっ!
ちょっと厳しいよね。病気の完治ではなく、症状の寛解がゴールということは、完治はしませんって言われているのと同じことですからね。その寛解さえ人によっては難しいわけだし。
実際には寛解を待てず、体に鞭打って働き、収入を得ることで生活を保っている人が多いでしょう。世間は何年も待ってくれないってな感じで。
『仕事ができる=治った=平気』ってわけではないのに、周囲にはそう思われがちだし。
日常生活を送る上での症状は軽減しても、予期せぬフラッシュバックの苦痛度は少しも軽減しないのにね。
<治療は心理教育からスタートする>
・症状を理解する(再体験、回避・麻痺、過覚醒を知る)
・回復の見通しを立てる(心身に備わる回復力を引き出す)
・思考を理解する(考え方が変化していることを自覚する)
・症状を「正常」と考える(異常な出来事に対する正常な反応だと考える)
・トラウマによって、自分の心身がどう変わったかを具体的に見ていき、トラウマの影響を自覚する
・変化した部分を改善し、生活を戻していく
<二次被害を防ぐ>
二次被害とは、PTSDに苦しむ人が、周囲の無理解、無神経な言動に曝され、さらに苦しむこと。心理的負担や生活への妨げになる。
【被害例と、その対応】
●自分本来の姿とかけ離れた報道や噂が広まり、以前と同じ生活が出来なくなる。⇒報道や噂を止める。協力してもらって正しい情報を伝える。
●事件や事故のせいで周囲の人に敬遠され、つきあいや仕事がそれまで通りに行かなくなる。⇒生活を維持する。家族や知人と協力して、誤解を解く。
●同じ事件や事故に遭った他人と比べて、回復が遅いと非難される。⇒自分と人を比べない。トラウマ反応はそれぞれ違うと伝える。
●「油断してたんじゃないの?」「もう忘れなよ」などと無神経な助言をされる。⇒本人は助言を受け流す。家族や知人は助言した人にその発言が不適切であることを指摘する。
挙手!挙手!挙手!
協力してくれる人や、協力を頼める人がいない場合はどうすればいいのですか?また、家族や知人から二次被害を受けた場合は?
二次被害を受けないために他人との関わりを断つ人もいるんだから、そうなると頼れる身近な人間ってドクターぐらいじゃありませんか?
そのドクターからお言葉をいただくにはお金ってもんが必要でしてetc…
まあ、色々と真面目に書きましたが、この辺でそろそろ締め括らせていただきたいと思います。
精神的な病気というのは、理解はできなくてもしょうがない。でも、せめて誤解はしないでほしい。 おかしな認識はしないでほしいです。
芸能人の誰々が、うつ病やパニック障害=大変な病気、つらいのに頑張って偉い
一般人の誰々が、聞き慣れない病名=頭がおかしい、危ない人、気のせい
こんな馬鹿げた認識は今すぐ正されるべきだと思います。